『ゲーデル・エッシャー・バッハ』とは?
「不完全性定理」を証明した数学者ゲーデル、だまし絵で有名な画家エッシャー、音楽家バッハを論じた本。
ホフスタッターは当時ミシガン大学の人工知能の研究者。お父さんはノーベル物理学賞受賞者。
ホフスタッターはどんな人たちに読んでもらいたいかを問われて「わたしが15歳のころに興味を持っていたような事柄に関心のある、15歳の頭のいい連中」に読んでもらいたいと答えている。
あの世界の北野武さん(ビートたけし)がバラエティ番組でこの書名に言及したのを偶然テレビで見たこともある、そのくらいすばらしい本。
言語に関しての示唆が多く、お薦めします(が、値段が高く、分厚い!)
翻訳チーム(野崎昭弘 はやし・はじめ 柳瀬尚紀)もすばらしく、この翻訳をきっかけに日本の英文学界・数学界は大きく進歩したのではなかろうか?
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Hofstadter, D.R. (1979) Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid, Basic Books, Inc., Publishers, New York
ダグラス・R・ホフスタッター著/野崎昭弘 はやし・はじめ 柳瀬尚紀 訳『ゲーデル,エッシャー,バッハ あるいは不思議の環』白楊社(1985)
以下は、引用とルターのノートが混じっています。
《人工知能の知識の分類》⒜ 手続き型 ⒝ 宣言型
《人工知能の知識の分類》訳書p. 364 原書p. 364
⒜ 手続き型 ⇒ how toとしての知識
「あなたの居間の椅子の数は?」、
イメージの中で、あるいは実際に数えようとする
⒝ 宣言型 ⇒ 事実としての知識
「シカゴの人口は?」「500万人」と、どういうわけか心に浮かぶ。
日本の英語学習に応用すると…
⒜「手続き型」は、Bottom up方式であり、第二言語として英語を学習する学習者に「ことば」が実際に自分の身近に存在する人や物に対応しているという実感をつかませるのに向いている。しかし、繁雑な知識体系なので、導入時に向いていると言える。
⒝「宣言型」は、Top down方式。
【否定】
「起きなかった」ということに度合というものはない。
ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』白楊社(1985) p. 630
「ほとんど起こりそうだった」は心の中にあるのであって、外的事実の中にはない。
話し手の判断が入っていないと思われている文にも事実だけではなく、判断が入っている。
nearly「ほとんど(…しかける)」などの副詞の使い方に注目したい。
《没価値の叙述文》→ 【仮定法】
以下の仮定法へつなげる流れが素晴らしいですね。
《没価値の叙述文》訳書p. 631 原書p. 642
I don’t know Russian. | 私はロシア語を知らない |
I would like to know Russian. | ロシア語を知りたいなあ |
I wish I knew Russian. | ロシア語を知っていたらなあ |
If I knew Russian, I would read Chekhov and Lermontov in the original. | ロシア語を知っていたら、 チェホフとレールモントフを原文で読むだろう |
【関係代名詞(制限用法)】
関係代名詞(制限用法)にピッタリな内容。
In your mind, you can also have different mental descriptions for a single person; for example | 同一人物についていく通りにも心に描くことができる。例えば、 |
The person whose book I sent to a friend in Poland a while back. | その著作を私が先月ポーランドの友人に送ったところの人物 |
The stranger who started talking with me and my friends tonight in this coffee house. | 今夜、この喫茶店で私と私の友人に話しかけた見知らぬ人物 |
That they both represent the same person is not a priori clear. Both descriptions may sit in your mind, unconnected. At some point during the evening you may stumble across a topic of conversation which leads to the revelation that they designate the same person, making you exclaim, “Oh _ You’re THAT person!”(本文ではイタリックを大文字にした) | この2つが同一人物を表現していることはアプリオリには明らかではない。しかし、その晩の会話の中で2つの記述が実は同一の人物をさしていることを明らかにするような話題にぶつかれば、こう叫ぶことになる。「なんだ、あの人のことだったのか!」 |
Hofstadter, D.R. (1979) Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid, Basic Books, Inc., Publishers, New York p. 338
関係詞(継続用法)、同格
ルターにとっては、関係詞の継続用法と同格表現の共通性に気づくヒントになりました。
- ニュース番組の外国特派員が割り込んでくる。キャスターと外国特派員が話した後に、ビデオが写り、現地の人がインタビューに答える。そして特派員に戻り、キャスターに戻る。
キャスター キャスター 特派員 特派員 現地の人 |
⑴ 押し込む push (文脈の)中断
⑵ 戻る pop 下位にある新しい文脈から上の文脈に戻る《再開》
⑶ 山積み stack
⒜ 未完成の文脈のどこに戻るか 《戻り番地return address》
⒝ 中断した場所で知っておかなければならない情報 《変数統合variable bindings》
参考)ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』白楊社 pp. 142-3
《原型原理》(プロトタイプ)
脳の中で記号はクラスを表わすのか、それとも事例を表わすのか?
ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』白楊社(1985)p. 351
ある記号はクラスを表わし、他は事例を表わすのか?
どの部分を活性化されるかによって、単一の記号がクラス記号および事例記号の双方の任務を果たすのだろうか?
上記の引用で
(a)「クラス」⇒《種類》《一般的な話題》=【無冠詞】
(b)「事例」⇒《メンバー》《具体的な話題》=【a/an/some】
と読み替えることで、
ルター式英文法での名詞の分類の大きなヒントになっています。
ルターの思い出
私自身は大学1年生の時に4年生の哲学科M先輩に紹介していただいた想い出のある本。
M先輩はゲーデル「不完全性定理」で、公理系が閉じておらず、メタメタ…と上方に開いていることについて語ったあとに「これは良いことなのかな?」と疑問と感慨を漏らした。
「公理系が閉じていない」を言い換えると「(自己言及のパラドックスのせいで)僕が僕であることを僕自身だけでは証明できない」ということ。
それは大きな宿題になり、20代で本を購入、30代で先輩の言わんとしていた意味がわかった。
50代の今、M先輩に答えるなら「善し悪しではなく、そうなっています」とお伝えしたい。
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