YouTubeで動画「【教育】「英語が必要かどうか、今後、二極化していく」これからの日本の英語教育を 成田悠輔×小川彩佳×山本恵里伽【news23】|TBS NEWS DIG 」をたまたま観ました。
「“文法ばかりで話せない”日本の英語教育」というテロップを観て、怒りがわきました(実際はそれほどでもないですが…、見過ごすことはできない!)。英文法を悪者にするのは許せないので、速攻、意見を書きました。「文法ばかりで話せない」などという、こういう無意識下への刷り込みに負けないよう、頑張ります。
1)テロップ「“文法ばかりで話せない”日本の英語教育」は看過できない
「文法ばかりで話せない」って、英文法を悪者にするのは許せない。
文法指導の教科書をなくし、文法指導の時間をなくして文法教育を破壊したでしょう。
昔と比べて、読めない、書けない生徒が増えたんじゃないですか?
さらには、説明文ばかりにして物語を読ませなくして、英語を通じて養ってきた情緒教育を破壊したでしょう。同時にベネッセや英検などの教育産業が英語教育を食い物にし、生徒を試験漬けにして、生徒たちが物語に向き合い、落ち着いて学習する機会を奪っています。
心に残る詩や物語がどんどんなくなってきている(これは国語教育でも同じ)。
共感力を持たない、御しやすい(支配しやすい governable)「考えない」人間を増やそうとしているのでしょう。
(2022/12/10 YouTubeの金曜レイトショー無料配信の1940年英米合作映画『バグダッドの盗賊』(The Thief of Bagdad)のさりげなく挟まれたワンシーンで、死刑(打ち首)になっていた人の罪状が「考えること」だったというのが辛辣だった。
オーウェル『1984』でも、主人公・ウィンストンの罪は日記に自分の考えを書き始めたことだった。)
私は英文法教育の復権を願っていますし、その方向で動きます。
同時に物語の復権もして「考えられる」人を作る教育を目指します。
2)2006年「東京都教育委員会 職員会議で挙手・採決禁止」の通達
後半で東京都の教職員のなり手不足を懸念して、職場の良さをアピールしている映像が流れていました。ところで、2006年の「東京都教育委員会 職員会議で挙手・採決禁止」の通達、それは今、どうなっているんですか? そういうことを取材して報じて欲しいです。
教育委員会や校長がさまざまな事案を決めてしまうような、息苦しい職場にはいられないでしょう。
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