〈ルターの推しビト 01〉アーサー・ビナードさん講演「夏の線引き ~ことばと戦争を考える~」

●新英語教育研究会第44回全国大会記念講演
アーサー・ビナードさん「夏の線引き ~ことばと戦争を考える~」
日時:2007年8月3日(金)14:00~16:00
会場: ホテルセイリュウ(大阪府東大阪市上石切町1-11-12)            

ルターさん
ルターさん

2007年の講演ですが、今(2022年)に皆さんに読んでみていただきたいですね。

●新英研神奈川支部会報担当・和田さつきから: 
為政者の意図的な放言やキャッチコピーによって、「ことば」が蹂躙され、ずらされていることに対して怒ることも忘れ、鈍磨になってしまっている、日本語を母語とする私たち。そんな私たちの蒙を啓くビナードさんの講演でした。会場からは時に笑いが起こる和やかなユーモアあふれる講演でしたが、内容的にはとても笑い事ではすまされない、軽い気持ちで笑い流せないことが述べられていました。英語教育に関わる者として、為政者のお先棒を担ぎかねない私たちがそれぞれの持ち場でビナードさんの指摘を真摯に受け止められたかどうかが問われる、重い「宿題」をいただいたと思います。ビナードさんの「日本語メガネ」の輝きに照らされて、私たちが使う「日本語メガネ」の曇りが浮かんできた…、そんな気がします。 

ビナードさんが言及された作家・作品に関しては、主にWikipediaを参照、引用しましたが、不備があると思いますので、ご自身でも確認して下さい。
★印の「ビナードさんのつぶやき」にご注目を。つぶやき(その4)が私のお気に入りです。

はじめに

ビナードさんのプロフィール

 1967年7月2日生の40歳。米国ミシガン州出身。(対談記事によると…、大学在学中に出会った彼女がイタリア人留学生で、帰国する彼女について行って…)20歳の頃、ミラノに1年半滞在し、イタリア語を習得、米国に戻り、90年コルゲート大学英米文学部を卒業、卒論で出会った漢字に惹かれて来日。以来、日本語を生かし、詩人・翻訳家・エッセイスト・ラジオパーソナリティとして活躍中。
奥様は詩人の木坂涼さん。
 

著作

詩集『釣り上げては』(思潮社)Fで2001年第6回中原中也賞、『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で2005年講談社エッセイ賞、絵本『ここが家だ ― ベン・シャーンの第五福竜丸』など。

資料

資料紹介

詩歌:大塚楠緒子(くすおこ)「お百度詣」、
   八木重吉「うつくしいもの」「雲」、
   ドルシー・パーカー(Dorothy Parker)「履歴書」(Resume)
対談:井上ひさし×:アーサー・ビナード「世界のウソを見抜く力」『小説現代』2007年5月号pp. 292-302

鶴彬(つる あきら)の川柳十句+ビナードさんの英訳から…

万歳とあげて行った手を大陸においてきた
 When shipping out, those hands he raised
 in a “Banzai!” ― they stayed on the continent.
(船出の時、その2本の腕を彼は万歳とあげた。その手は大陸に残った)
屍のゐないニュース映画で勇ましい
 The men look brave on a newsreel
 with all the corpses edited out.
(男たちは、すべての死体が編集して削除されたニュース映画で、勇敢に見える)

井上ひさし×:アーサー・ビナード 対談の抜粋(その1)

言語を習得するコツは「他者に伝えたい世界を持つ」「辞書を引く」
ビナード:(前略) ただ、ひとついえることは「こうすればあなたも手っ取り早く英語をマスターできる」とかいうようなハウツー物には、あまり期待できないことですかね。言葉には中身があって、話し手の視点が加わって、そこで初めて成立しますから、他者に伝えたい世界を持つことが一番大事かもしれません、言語習得のためには。「豆腐の作り方を伝えたい」でもいいし、「八百屋お七の物語を伝えたい」でもいいし、言葉の向こうにある世界の匂いをかいで、川の流れに見入り、景色の再構築にいどんで、物事と格闘して転がっていくうちに、いつの間にか言葉がいっぱいくっついてくるんです。
 あとは、ま、とにかく辞書を引きまくることが肝心。
井上:やはりそうですか。(中略) ロジャー・パルバース(作家・演出家)さんの辞書はね、三省堂のコンサイスなんですけど、まず表紙がない。ページは花みたいにパーッと開いちゃっていて、ご飯を食べるときにも絶対に手放さない。(中略) 一冊をバラバラにするくらい使い込まないと、言葉というものは本当には身につかないんだなというのを近くで見ていましたので、ビナードさんのお話はよくわかります。(中略) それに比べて日本の英語教育は、どうも上っ面だけで、いけません。

井上ひさし×:アーサー・ビナード 対談の抜粋(その2)

●「テロとの戦い」という言葉がwar(戦争)の意味をずらした話
(講演会の中盤の話をより深く理解できるので、ぜひお読み下さい)
井上:9・11事件のあとに出てきた「ザ・ウォー・オン・テロ」という言葉の奇妙さについても、エッセーに書かれていましたね。
ビナード:世界一の広告代理店であるホワイトハウスがthe War on Terrorismというキャッチフレーズを打ち出しましたが、テロは手段であって敵国ではないので「テロとの戦争」なんてあり得ない話。
井上:他にも「貧困との戦争」「麻薬との戦争」などと使うようになって、そのうち「戦争」という言葉の意味がよくわからなくなってしまった、というより、「戦争」は善いこと、正しいことという語感を備えてしまった。
ビナード:侵略戦争をカムフラージュするために「防衛」と言い換えるのが、この60年間の米国の常套手段。ベトナム、朝鮮半島、中南米に出かけて市民を殺しては「防衛」と言い切る。「なにしろ、ベトコンがいつテキサスを襲撃してくるかわからないので」といった理屈で。
その流れで今度はWarという単語、「戦争」のほうがだいぶ暇になって、それを「テロ」や「貧困」「麻薬」と組み合わせて利用することにした。そうこうしているうちに「戦争」の意味がスカスカになってしまって…。
井上:「平和」という言葉のほうもツルツルで何の意味もなくなってしまいました。

反戦歌

大塚楠緒子(くすおこ)「お百度詣」の背景

大塚楠緒子は夏目漱石が(その早い死を悼んで)「あるほどの菊投げ入れよ 棺の中」という句を捧げたという女性。1905年雑誌『太陽』に日露戦争に出征した夫の無事を祈る妻の心情を歌った「お百度詣」を発表した。与謝野晶子が1904年『明星』に発表した反戦歌「君死にたまうことなかれ」に対して『太陽』誌上でバッシングを展開していた大町桂月(おおまち けいげつ 歌人、評論家)に対抗する詩という意味合いもあった。

「お百度詣」の英訳の工夫

Walk back and forth in front of the shrine(神社の前で行ったり来たりする)という和英辞典にある表現は少しの距離を前後に行ったり来たりという意味にしかならないので、pacing the path to the shrine one hundred timesとアーサーさんは訳した。

市民が監視されること、それは自由の根幹に関わることだ

「何かいいことない?」からリチャード・ライトへ

ビナードさんと奥さんの木坂涼さんはそれぞれが家で仕事をしていることが多いので、仕事に行き詰まると奥さんから「何かいいことない?」と問いかけられるという。「そういうときは昨日のことなどを思い出して、話し始めるのですが…」というビナードさんの頭の中ではリチャード・ライトの詩「FBI Blues」がこだましているという。
リチャード・ライト[Richard Wright(1908-1960)]は 米国ミシシッピ州出身の黒人作家で、黒人で左派ということもあって1940年代からFBIの監視下に置かれていた。その詩は「FBIが俺のベッドに鈴をつけた」「FBIが俺の寝言を記録している」という内容で、自分がFBIから監視されている(monitored)ことを歌ったもので、最後に「誰か何か良いことがあったら教えてくれないか」(Somebody, tell me some good news.)とある。
★ビナードさんのつぶやき(その1):「FBIが前戯まで記録している、と訳してみました。事際には、前戯、foreplayという言葉はないんですけどね…」

自衛隊による市民監視に注意

今年の6月に自衛隊がFBIばりの監視活動をしていたと報道されていたのに、マスコミからさーっとニュースがなくなってしまった。「監視されていたのは、イラク戦争得反対、消費税反対、医療費反対、年金改悪反対を主張する市民だったが、どういう基準だったのだろうか?」と問うビナードさんの答えは「軍事予算の膨張に反対する人々ではないか」。
●参考:情報保全隊(じょうほうほぜんたい)とは、自衛隊(陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊の夫々)に置かれている、情報保全業務のために必要な資料及び情報の収集整理及び配布を行うことを任務とする防衛大臣直轄部隊である。2003年(平成15年)3月27日に設立された。2007年6月6日、自衛隊内部文書を入手した日本共産党が情報保全隊の活動を国会で取り上げマスコミに公開。翌7日には機関紙「しんぶん赤旗」に記事を一面で掲載した。(Wikipediaから引用)

「スパイを調べるのはごろつきの商売だ」と、冷戦時代のスパイについて調べていた作家のレベッカ・ウエスト (Rebecca West)、は述べている。

★ビナードさんのつぶやき(その2):(リチャード・ライトのFBIブルースにならって)「自衛隊情報保全隊ブルースを作るといい! 自由の根幹に関わることだから…」。

アメリカがイラクでしているのは国防(defense)であって戦争(war)ではない

民主主義

ブルックス・アトキンソン[Brooks Atkinson 1984年没。「ニューヨークタイムズ」で劇評を書き続けた]は、1951年に「アメリカが戦争で守ろうとしてきた民主主義が、戦争をするごとに減っている」と言っている。
会報担当より:この人物「アトキンソン」の名前がよく聞き取れませんでした…ので、間違っていたらゴメンナサイ。)

第2次世界大戦後アメリカは大小200回の戦争をしている。それは「自作自演」で「仮想敵国を作る」というものでファンタジーの域を出ない。
・W・S・マーウィン[W. S. Marwin]のベトナム戦争の頃の詩、When the War Is Over(戦争が終わったあかつきには)は、戦争の後に人々は自分自身の不安が解消され、また志願するという心理が詠われている。

アメリカと古代ローマ

「サダムフセインは大量破壊兵器を持っている」(が、マッチ一本もなかった…)と主張した政府は「戦争で石油が安くなる」と戦争前に言っていた。アメリカは古代ローマに似ていて、ローマのことが当てはまる。キケロはローマが共和国から帝国に成り下がるのを嘆いていたが、「どんな人間も間違いを犯す、愚か者は間違いをし続ける」と言った。

イラク研究グループ報告書でわかるアメリカのイラク政策の現実

ベーカー・元国務長官と民主党のリー・ハミルトン下院議員を筆頭に米超党派10人(共和党5名、民主党5名)が中心になって9ヶ月かけて作成。(2006年12月6日に報告書をブッシュ大統領に提出した。)この報告書(The Iraqi Study Group Report)が書店で売っていたので、ビナードさんが読んでみたところ、「ひらめきはないが、現状を直視していた」。例えば、イラクのアメリカ大使館(Embassy)には、スタッフが1000人もいるがそのうち「33人がアラビア語がわかり、6人がアラビア語が良くできる」と書かれていた。

★ビナードさんのつぶやき(その3):「アラビア語がわかる33人というのは「トイレはどこ?」程度の会話ができるという意味です。アメリカではその程度の会話力でも「アラビア語がわかる」と履歴書に書きますから…。」

 米政府は「アラビア語が良くできる6人」に頼り切っているということが読み取れる。6人のスタッフに頼って「執拗に間違い続けている」のが今の米政府。

★ビナードさんのつぶやき(その4):「アラビア語がわかるという33人! アラビア語で値切れもしないで役立つかよっ!」(文化を知るってそういうことですよね…)

・言語能力を高めるためには、その言語を話している人々の暮らしの中に入って気持ちを分かち合い、同じ人間だと認めること。アラビア語をやる人でイラクを植民地化することに同意なんてできない。その国に戦争を仕掛けようなんて気持ちにはならない。

★ビナードさんのつぶやき(その5):「最後まで協力しようとしているのは日本政府ですね」

ウソを見破る

ウソを見破る能力

ヘミングウェイは「いい作品を書くのに必要なのはウソを見破る能力。どんな衝撃にも耐えうる完全内蔵型のウソ発見器」と述べている。このウソ発見器はShit Detectorで、bullshit(牛のフン)といえば英語では「ウソ」「ごまかし」の意味。省略してBSと言うと、アメリカ人はこのbullshitだと思う。

衛星放送は略語にしたらSBになる

NHKの衛星放送はBS「ビーエス」と言っているが、broadcast satellite(放送用衛星)の略になっている。本来ならsatellite broadcast(衛星放送)でSB(エス・ビー)になるはず。ビナードさんの家族はNHK BS2「ビー・エスー・トゥー」などと放送されているのを聴いて、bullshitのことかとびっくりしているという。

●会報担当・和田の陰の声:このことは英語文化圏に育った人でないとわからない、貴重な指摘でした。日本の中で、SB(エス・ビー)と言うとSB食品みたいですから、それで代えたのでしょうか…。

「英語メガネ」で見えてくること 「レジスタンス」「テロとの戦い」「国防」

言語はコミュニケーションの道具だと言われるが、物事を見る「レンズ」の役割も果たしている。外国語を学ぶと、もう一つのメガネでものが見えるようになる。ふだんは「英語メガネ」を掛けて、世界を見渡しているが、他のメガネに掛け替えるとボケているところが見えてくる。例えばイラク戦争を「英語メガネ」で見てみると…

イラクの人々がしているのは「反乱」ではなく「レジスタンス」

insurgency(暴動・反乱)、insurgent(反乱暴徒)という語がよく出てくる。日本語では「武装勢力」と抑えめの表現を使っている。しかし実態はフランス語をカタカナにした「レジスタンス」を使った方が則している。(レジスタンスなのに反乱と報道する…)そこに「ごまかし」がかくされている。

The War on Terrorを「テロとの戦い」と訳す理由+defense(国防)と呼べば予算が恒常的に確保できる話

世界一の広告代理店であるホワイトハウスがthe War on Terrorismというキャンペーンを出したので、その日本支社(!)である日本政府はどう訳そうかと考えた。「テロ戦争」「テロとの戦争」ではなく「テロとの戦い」に落ち着いたのは日本では「戦争」「平和」ということばにまだ中身があったから(その一方で、アメリカではwarという語は骨抜きにされてきたということ)。
★ビナードさんのつぶやき(その6):「the War on Terrorを「テロ戦争」と訳してしまうと、本当の国家テロ(=アメリカが他の国にテロを仕掛けていること)だと1人ぐらい気づいてしまうからボツにしたのでしょう。」

アメリカのwarは宣戦布告(declare)しないとできない。1941年の対独・対日への宣戦布告が最後。今まで200回以上大小にわたってやっているのはwarではなく、defense(国防)。
★ビナードさんのつぶやき(その7):「イラクに行って『国を守る』んですから…」

 1947年国家安全法でCIAやペンタゴンを創設した。それ以前は、戦争になるごとにthe Department of War(戦争省)を作っていたので、予算は増えたり減ったりメリハリがあった。ワシントンやジョンソンたちは歯止めを掛けていたのだが…。
defense(国防)という言葉の中に「侵略戦争」を入れたので、Warということばがからっぽになる。暇になると、遊ばしておくわけにはいかない。
そこで、(戦争をする相手が国家ではなく)実体のないものとの戦争を米政府は次々始めた。
The War on Poverty(貧困との戦争)で逆に貧困が加速した…
The War on Cancer(ガンとの戦争)はニクソン政権が行った。
The War on Drugs(麻薬との戦争)と言って、人権侵害をしたり、中米や南米に介入しやすくした。そして次がThe War on Terror(テロとの戦争)だった。

●参考:エッセイとして「戦争とWarの違い」(『出世ミミズ』(集英社文庫2006)所収)で書いていらっしゃいます。

「新しいことはいいことだ」に気をつける

人々がだまされるプロセスが、米・日でこんなに重なるのかと思う。

「新しい料金」とは単なる「値上げ」のこと

妹さんがサンフランシスコに住んでいるビナードさんが久しぶりにサンフランシスコを訪れ、路面電車に乗ったところ。New Fare(新しい料金)というポスターがあり、近くにいた年配の女性に尋ねたら「ただの値上げよ。oldなら、いいんだけど」と言い、1年のうちに2度も値上げをしたのだと話してくれた。このように「新しいことはいいことだ」に騙されている。
★ビナードさんのつぶやき(その8):「日本で消費税を値上げするときに「新しい」(new)がついていると思いますよ…」

安倍政権の「イノベーション25」(首相官邸のHPを参照)

安倍政権ではイノベーションいうことばが飛び交っていた。innovation(技術革新)にはnove-(新しい)が入っている。2006年に発足した「イノベーション25戦略会議」(高市早苗技術革新担当相の私的諮問機関で、2025年を目据えた国家戦略を議論している)のなかで「走れば走るほど空気を綺麗にする自動車」「家事からの解放 - 一家に1台家庭ロボット -」「ヘッドホンひとつであらゆる国の人とコミュニケーション」「災害を減らす予測」(災害の防止ではなく「予測」)と言っている。これは2025年を想定するところに意味がある。10年後だと「湯水のごとく予算を使ったくせして…」と言われかねないが、20年後ぐらいなら責任を問われなさそうだということ。
★ビナードさんのつぶやき(その9):「政治家の二枚舌を聞き分ける翻訳ヘッドフォンを!」
●会報担当・和田の陰の声:「『新』とついているものは…ということでは新英研も…。辛辣ですな、ビナードさん!」

ベン・シャーンのことを「新しくない」と批判したグリーンバーグ

1947年の回顧展でベン・シャーンの作品をクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenburg)は「新しい流れから外れていて取るに足らない」と批判した。当時は抽象表現主義(アクリルペイントでぽたりぽたり…の作風。「今や倉庫です!」)が流行っていた。

 フランスのペギー(Charles Péguy、1873-1914、詩人・思想家)は、第1次世界大戦に送られる前に、ローマの古典の方が新しく、古いのは今朝の新聞だ、ということを言っている。

ラムネと弾道ミサイル

ラムネはlemonade(レモネード)だと知って飲んだが「祖母と一緒にレモネードを作った夏の思い出を呼び起こすのではなくゲップだけが出る」ので、最初は嫌いだった。しかし高浜虚子の俳句に詠まれたり、季語になっていることなどを知りだんだん好きになっていった。あるとき、お祭りに行ったら、3種類のラムネでピンクのいちご味とハワイアンブルーとふつうのものがあり、驚いたが、ラムネの入れ物に入れればラムネなのだと(いう理屈が)わかった。形が似ているが「弾道ミサイル」はミサイル防衛と言っているが、防衛システムではなく、先制攻撃のためである。ミサイル先制攻撃システムだと予算が通らないから…。
★ビナードさんのつぶやき(その10):「翻訳するには中身を見ることが大切。イエローラムネを飲まされないように!」

日本は「美しい属国」

安倍総理の書いた新書の『美しい国』は買わなかったが本屋で立ち読みした。八木重吉の詩「うつくしいもの」を知っていたら、「美しい国」なんて言えないはず。こういうことばを私たちが浴びせられたときに、八木重吉の詩が解毒剤になる。
★ビナードさんのつぶやき(その8):「『美しい国』に重大な脱字があることに気づきました。『美しい属国』の属が抜けていて、重大な脱字です!」

夏の線引き

講演のタイトル「夏の線引き」について

俳句の季語が載っている歳時記を編集している友人が「8月6日と8月9日の間に立秋が入るために、広島忌は夏、長崎忌と終戦記念日は秋の季語になっていると教えてくれた。その友人は3つとも夏の季語にすべきだという考えで、同調してくれると思って話したのだけれど、ビナードさんは広島と長崎の間には「線引き」が必要だと考えている。
「100万人の犠牲を出さないようにトルーマンは原爆を落とした」とアメリカの授業では倣った。しかし何故、2発落とすのかが引っかかっていた。戦後50年でトルーマンの日記が後悔され、7月18日には天皇から和平を請う電報が来たと書いてあった。ソ連との冷戦の始まりで「ソ連を脅かすため」に原爆投下したと考えられる。
★ビナードさんのつぶやき(その11):「整形手術と(為政者が塗り替える)歴史上の定説は同じ。2~3年くらいで(崩れてくるので)何度も直さないといけない」
●会報担当・和田の解説:1発目の広島だけだったら「戦争を終結させるため」という説明も通るが、2発目の長崎の説明がつかない。故に、広島と長崎を一緒くたにするのではなく、広島と長崎との間に線引きをすることで、歴史の実相がはっきり見えてくるということ。

武力ではなく言葉を使う

弾道ミサイル、ナパーム弾、劣化ウランなどの「武力」を使わないということは、音楽表現なども含む「ことば」を使うということ。言葉を低い次元に落とそうとしている動きに注意したい。

補注

●以下は、補注
*ベン・シャーン(Ben Shahn, 1898-1969):リトアニア生まれのアメリカの画家で両親ともユダヤ人で7歳のとき、移民として渡米。ニューヨークのブルックリンに住み、石版画職人として生計を立てた。(Wikipediaより)
 昨年、ビナードさんはベン・シャーンの連作絵画『ラッキードラゴン』を用いた絵本『ここが家だ-ベン・シャーンの第五福竜丸』(構成・文を担当)を発売。
*シャルル・ペギー:1900年に出版事業を始め、まず社会主義の本を出版し、ついで雑誌「半月手帖 Les Cahiers de la Quinzaine」を創刊した。執筆・原稿集め・植字・校正・会計・発送まですべて自分でやるという重労働であった。予約購読ではあるがそれぞれの判断による金額を徴収するという方法であり、1200人程度の購読者中、三分の二が無料購読であったため、生活は苦しかった。雑誌の内容は資料・報告・通信・時事問題の他に、文学作品に1冊を使うこともあった。ロマン・ロラン、アンドレ・シュアレス、アナトール・フランスなど多くの作家が作品を寄せた。1914年8月2日に動員令が下り、ペギーは「世界中の人々に武器を棄てさせるため、最後の戦争のために、共和国の一兵士として」戦線に赴いた。9月5日ヴィルロワでドイツ軍との交戦中に戦死。(Wikipediaより)

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