授業で生徒とシェアしたい物語 新見南吉『でんでんむしのかなしみ』

〈授業の一風景〉
ルターさん
ルターさん

新見南吉『でんでんむしのかなしみ』は折あるごとに生徒に話しています。
長文ですが、適応指導教室の思い出を書いた記事です。

1)中2のSさんとの会話@適応指導教室

2013年3月のこと。中2のSさんと勉強していて,withoutがでてきた。
ルター:withoutはwithの反対語です。withは「~と(一緒に)」の意味がありますが,withoutは「~なしに」「~がなくて」という意味です。
では,歌によくありますが,I can’t live without you.はどういう意味でしょう。without youは「あなたなしで」で,can’tは? canはオバマ大統領がYew, we can.と言っていましたが「できる」ですね。can’tは「できない」。liveは?
Sさん:「いる」?
ルター:では,I live in Tokyo.は「東京に住んでいる」。言ってみましょう。
Sさん:I live in Tokyo.
ルター:ここではliveは「住んでいる」ですね,I can’t live without you.の場合,「住めない」では変です。ここではliveは「生きる」という意味です。I can’t live without you.は「あなたなしに生きられない」。Sさん,恋をしたらこういう気持ちになりそうですか? 相手にすがりつきそうですか?
Sさん:う~ん,ならないと思います。…,ルター先生はどうですか?
ルター:私もならないと思います(笑)。
Sさん:そんなかんじがします(笑)。
ルター:(血液型は)ルターはB型ですが,Sさんは何型ですか?
Sさん:A型です。
ルター:B型はあっさりしていると思います。
(好きだという気持ちが弱いわけではないです。私は,自分の人生の責務[ミッション]を全うして,生ききるのが肝心だと信じています。)
世の中には(作家の江藤淳さんを念頭に置いて)「あなたなしに生きられない」と思って,奥さんが先に亡くなって,あとから後追い自殺する方もいます。だからといって,後追い自殺する人が一番つらいということではなく,(1970年に三島由紀夫を亡くされている美輪明宏さんを念頭に置いて)愛する人を亡くして生き残っている人の方がつらい思いを抱えて生きているということもあるんですよ。ところで,Sさんは,「ごんぎつね」を書いた新美南吉さんを知っていますか? 
Sさん:はい。
ルター:新美南吉さんのお話しに「でんでんむしのかなしみ」という物語があります。私は新美南吉さんの記念館に行ったことがあって,入口にそのお話しが書いてあって,短いのですぐに読めるのですが,読んで涙ぐんでしまいました。でんでんむしが自分が悲しみを背負っていることに気づいて,どうしたものかと友人のでんでんむしに訊きに行くと「僕もこの殻の中に悲しみを抱えている」と言われてしまう。また次の友人のでんでんむしに訊きに行くと,同じ事を言われる。そこで,でんでんむしはみんなが悲しみを抱えているのだと知って,思い直すという物語です。あまりうまくお話しできませんでしたが,実際は,もっと上手に書いてあります。
新美南吉さん自身,失恋して,結婚することなく若くして亡くなっていて,宮沢賢治に似ていると言われています。
Sさん:でんでんむしって,カタツムリのことですね?
ルター:そうです(と,言ってルターはノートにカタツムリの絵を描いて見せた)。
Sさん,(といって,後ろを振り向き),ここにいる人たちは(適応指導教室で、先生と不登校の生徒たちが10人ぐらいいた),こうやって普通に勉強していますけれど,それぞれに背中に殻を背負っている(背中に手で弧を描くアクション付き)。何もないかのようにしているでしょう…。でも,それぞれの悲しみが何かしらあるはずなんですよ。そう思うと,みんなに対する見方が変わってきませんか?
Sさん:そう考えると,深い話なんですね…。
 と,Sさんは納得してくれた。
終わりに,愛知県半田市に新美南吉さんの記念館があること,ネット上の青空文庫で読めることをお話しした。

新見南吉「でんでんむしのかなしみ」(原文はカタカナ)
 一ぴきの でんでんむしが ありました。
 ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」
 この かなしみは、どう したら よいでしょう。
 でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。
「わたしは もう、いきて いられません。」
と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。
「なんですか。」
と、おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」
と、はじめの でんでんむしが、はなしました。
 すると、おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」
 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。
 すると、その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」
 そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。
 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。
 とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。
「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」
 そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。

http://www.kamezaki-e.ed.jp/tiiki/gon/denden.htm

2)中3のTくんとの会話@適応指導教室

ルターさん
ルターさん

以下に登場するTくんは小学生4年ぐらいから不登校で中2のときに適応指導教室に来た生徒で、ずっとマスクをしていたので「マスクマン」とあだ名され、先生以外と交流を持たない生徒でほとんど話もしない状態でしたが、中2の3学期に担当のTK先生とバドミントンをしたら体も心もほぐれてマスクを取り、さなぎが蝶になるように、後輩を思いやり、多弁で快活な読書家に変貌して今に至ります。「何かのきっかけでスイッチが入ると不登校生がすっかり変貌する」というのを示してくれた生徒です。

2012年4月のこと。今日は中3のTくんと国語。今年から光村図書の教科書。予習したときに数カ所読んだが「国語への愛があふれている」と感じた。好感が持てた。魯迅の「故郷」,鷲田清一さんのエッセー「聴くということ」,新川 和江さんの詩「わたしを束ねないで」などが載っている。
ルター: Tくん,この教科書は本当に「日本語への愛があふれている」教科書ですよ。表紙扉の写真,きれいでしょう? ほら,星野 道夫さんも載っています。アラスカでカメラマンになった方です。英語の教科書にもあります。森鴎外「高瀬舟」は高1の時に読んだ記憶があります。こういう定番の物語は日本の人々の心のなかに残っているんです。しっかり読んでくださいね。そういう物語としては,小学校の教科書にある新美南吉さんの「ごんぎつね」があります。知っていますか?
Tくん:知っています。
ルター:去年の夏の英語の先生の集まり(新英研全国大会)で新美南吉さんの記念館に行きましたが,「ごんぎつね」は小学校のすべての教科書に載っているのだそうです。兵十が撃ってしまってから「ごん,おまえだったのか…」って,気づくんですね。悲しいお話ですね。新美南吉さんには「でんでんむしのかなしみ」という話があって,記念館で初めて知りました。ある日,でんでんむしが「せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いる」ことに気づいて,他のでんでんむしに尋ねたら,ボクもそうだ,という。次のでんでんむしも大きな悲しみを抱えているという。そこで,でんでんむしは「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」と気づく,というお話です。みんな悲しみを抱えています。Tくんも悲しみを抱えていますね?

ルターはここで,横並びに右側に座っているTくんの背中の後ろにカタツムリの殻のように半円を描いた。
ルター:顔で笑っていても,どの人も悲しみを抱えています。目には見えなくても。私だってそうですよ。
ルターも背中の後ろにカタツムリの殻のように半円を描いた。
ルター:美輪明宏さん,知ってますか?
Tくん:はい。
ルター:ピカチューみたいに黄色い髪をして,いつも輝いていますが,美輪さんほど大きな悲しみを抱えている人はいませんよ。自分が愛している人が薔薇の花をたくさん抱えてきてプレゼントしてくれた,その翌日に割腹自殺したなんて,そんな悲しみありますか? 作家の三島由紀夫さんですよ。
Tくん:割腹自殺ですか…。
ルター:美輪さんは長崎で被曝してもいるんです。体調の悪い時期もあったけれど,今はお元気で,笑顔です。でも背中には大きな悲しみがつまっているんです。
Tくん:(しばらく考えて) 先生は「スイミー」,知っていますか?
ルター:はい,知っています。レオ・レオニですね。みんなで大きな魚の形になるという。そして,みんなと違う一匹が目になるんでしたね。
Tくん:(さらにしばらく考えて) ボクはTK先生(60代男性。Tくんの担当をしていたが,この4月に他校異動)に感謝しています。TK先生にはいろいろ話を聞いてもらいました。スポーツもいっしょにしてもらえたので,自信がつきました。
ルター:バドミントン,Tくん上手になりましたね。TK先生もお上手で,ちょっとラケットを振っただけで,ビッシッと羽が飛ぶんですよね…。
Tくん:TK先生に恩返ししたいです。
ルター:今度,歓送迎会でお会いしますから,お伝えしますね。きっと喜ばれますよ。もちろん,直接TK先生にご恩返しするのも良いことですが,「ご恩送り」というのもあるんですよ。他の人にバトンを渡すように,ご恩を送るということです。この光村の教科書に載っている井上ひさしさん(ページを開いて写真を示しながら)がおっしゃっていましたよ。井上ひさしさんは「ひょっこりひょうたん島」を書いた方です。「泣くのは嫌だ,笑っちゃおう」という歌詞があります(ルターは一節,歌ってみせた)。50代以上の方が観ていましたね。
Tくん:菅直人さんも観てたみたいですよ。
ルター:そうですか! よく知っていますね。
というような会話を展開した。「TK先生に恩返ししたい」とTくんが語ってくれたのを聞くことが出来て,ルターは嬉しかった。すばらしい場・時間を共有できていることに感謝している。

3)2011年 新美南吉記念館を訪問

2011年8月のこと。新英研全国大会(愛知県半田市)終了。
新美南吉の生家からスタートし、神社やお寺、土手を歩いて、記念館へ。月曜日休館なのだが、新英研のために開館してくださったので、じっくりゆっくり見ることが出来た。案内をしてくださった学芸員の遠山さんの解説がすばらしく、心に沁みた。まるで南吉が語っているかのようでしたよ。「でんでんむしのかなしみ」はこれからヒットし、新美南吉ブームが来ると、ルターは確信しました。宮沢賢治と並ぶ、すばらしい作家だと思います。

ルターさん
ルターさん

以下は新美南吉の記念館の学芸員・遠山さんにお礼のメールとして送ったものです。

昨日、新英研のツアーで訪問しました、ルターと申します。
●遠山さんの解説で2回、涙ぐんでしまいました。
・「でんでんむしのかなしみ」の物語は初めて知りました。中島敦の沙悟浄の物語につながるものを感じました。そして、でんでんむしの気持ちが今の日本の人々の心を代弁していると思いました。この物語が今年、絶対ヒットすると思います。そして南吉のブームが起こると確信しました(きっと記念館は大盛況になるでしょう)。そして南吉の物語がさらにひろく読まれる契機になるといいと思いました。私は「3杯のかけそば」ブームの時、あのファッショな熱狂が嫌いでしたし、物語をもてはやす人々の気持ちが理解できませんでした。ああいう安っぽい物語に取り込まれてしまってはいけないと思います。宮沢賢治や新美南吉の物語は人々の「心のたべもの」として受け継いでいきたいと思います。
 遠山さんの解説で「誰でも悲しみを抱えている、こういうことは大人の人なら誰でも知っていることですが…」ということばが真実なので心にぐっとせまってきました。

・日記の言葉(自分が死んでも作品は残るという趣旨)を遠山さんが朗読されたとき、新見南吉の熱い心がそのまま伝わってきました。ジーンとしました。
●感心したことがたくさんありました。
・南吉のお父さんが2人の息子を亡くして悲しんでいたようすを教えてくださり、逆縁の不幸ということに思いが至りました。
・遠山さんが川沿いで、川向こうの子どもたちがけんかしていた様子を再現してくださったとき、地元のことばでした。やはり地元の方しかできないことがあり、私はそれに触れるが出来たので、半田市に来てよかったです。同行していたS先生が「rivalの語源はriverなんだよ。川があると対立するというのは今も昔も変わらないんだね」と教えてくださいました(NHKみんなのうたに「オランガタン」という歌があります。川を挟んで対立し合う赤と青のオランウータンが洪水で紫色に解け合って仲良くなります。洪水になる前に仲良くなりたいものですね)。こういう話も出て、よい思い出になりました。
女子校の生徒の英作文に「畢竟(ひっきょう)、観察が足りない」と、辛辣なコメントを南吉が書いていて、英語教員の団体ですから大ウケでしたね! 英語教師でもあった南吉にはたいへん親しみを感じました。
遠山さんが「南吉は観察ということを大切にしていました」と解説されたので、「きっと、遠山さんはよく研究されているのだな」と感じました。そこのところをもっとお話を伺いたいと思いました。
最後に、かすや昌宏さんの「ごんぎつね」の絵を見て、物語は知っていても、やはり最後は涙ぐんでしまいました。いわしのエピソードがあることにより、話が際だっていると感じました。自分が兵十のためにしていることが「かみさま」のおかげになってしまうことに対してごんが不満をもらしたところが死につながったのかなぁ、とさみしいかんじがしました。謙虚に陰徳を積むことが大切かと、大人である私は襟を正す気持ちになりました。
遠山さん、すばらしいご案内、ありがとうございました。
また、休館日にもかかわらず、開館してくださったこと、ありがとうございました。
●追記 2011/08/04にメールでお返事をいただきました:
ルター様
過分なご評価をいただき、恐縮です。
皆さん、反応がいいので(笑)ご案内していて私も楽しかったです。
英訳された南吉作品もたくさんありますので、授業でご利用いただければ嬉しいです。
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新美南吉記念館(にいみなんきちきねんかん)
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4)適応指導教室のある日の午後

2011年12月のこと。今日の午後は百人一首。1月に大会があるので3回目の練習。一人ずつに札を読んでもらいながら源平合戦。「小倉みゆき」(小倉山~いまひとたびのみゆきまたなむ)と覚えてくれた生徒もいて,みんな良い感じで札を取っていた。「ながうし」(ながらへば~うしとみしよぞ いまはこいしき)というのが母の覚え方。
帰りの会で,今日は何を話そうかな~と考えて「みなさんは『徹子の部屋』や『ボクらの時代』などのトーク番組を観たり,新聞の連載記事で子ども時代から振り返ったものなどを読んだりしますか~?」と問うたところ, Kさんだけが手を挙げてくれた。
 ルターはがっかりしたのだが,さもありなんと思った。そこで,くじけず,「苦労も感じさせない笑顔なのに,話を聞くと,小さい頃に苦労していたんだな,という人がいます。私はその人たちの人生と照らし合わせて,自分が苦労していてもいつか大丈夫になるのだろうと思ったりします。みなさんもトーク番組や新聞や雑誌のインタビュー記事を読んで,ぜひ自分の人生と照らし合わせてみてくださいね」とお話しした。
 夏の新英研全国大会で訪れた半田市ににある新美南吉記念館で初めて知った「でんでんむしのかなしみ」を思い出した。みんな悲しみを背負っているのだということを。
話の最中,Tさんが大きな目で見つめてくれたのが心に残った。

ルターさん
ルターさん

以上です。長文、読んでくださった方、ありがとうございました。

ブログ記事「2013.03.16 ルター、学校へ行く(相談員4年目+サポート校2年目 その67)without you+新美南吉」「2012.04.17 ルター、学校へ行く(相談員4年目+サポート校2年目 その2) 光村図書の国語+ご恩送り」「2011.08.02 ルター、全国大会(愛知県半田市)に行く(その1):新美南吉記念館」「2011.12.20 ルター、学校へ行く(相談員3年目+サポート校1年目 その38):百人一首+他者の人生に学ぼう」を再構成しました。

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