今朝見つけた2つのメッセージがリンクしました。
殴った人は忘れますが殴られた人は忘れない。
言った人は忘れますが言われた人は忘れない。
気をつけます。
暴力・イジメの連鎖の「流れ図を変える」提案として井上涼さんの曲をご紹介しています。
1)言葉に気をつけよう
Be careful with your words, once they’re said, they can only be forgiven, not forgotten.
❶ 言葉には気をつけよう。一度言った言葉は、許されるだけで、忘れることはできない。
https://www.facebook.com/amazing101official/photos/a.318506158897646/1371680666913518/
❷ 言葉には気をつけなさい。いったん発した言葉は、許されるだけで、忘れられることはない。
❶DeepL翻訳[最初] ❷DeepL翻訳[パラフレイズ後]:
受動態の例文に使いたいですね。
2)くしゃくしゃになった紙は元に戻らない
トッポ@w2skwn3さんのtweet:午後9:44 · 2023年3月1日
これは興味深い💡アメリカのある家庭での子供をいじめっ子にさせないしつけ方法。
✏️✏️
文字書き起こし
Mother: Alayna and Neelia, say mean things to this paper.
Alayna: You’re ugly.
(The mother crumples the paper as the children say mean things.)
Neelia: You don’t have no friends.
Alayna: You’re fat.
Neelia: That’s why your mom doesn’t love you.
Alayna: You smell like dog food.
Neelia: That’s why you don’t have no friends.
Mother: OK, now I want you both to apologize to this paper.
Alayna and Neelia: Sorry.
Mother: OK. (The mother unfolds the crumpled paper.)
Is it fixed?
Alayna and Neelia: No.
Mother: This is why you don’t bully.
Neelia: OK.
Mother: Understood?
Alayna: Yes, mom.
文法的には二重否定はダメです。
(×)You don’t have no friends.
(○)You don’t have any friends.
DeepL翻訳に加筆
食卓にお母さんと2人の子ども達。
アライナ(Alayna)が姉で小学生、ネーリア(Neelia)が妹で幼児。
お母さんは子ども達に1枚の白い紙を見せる。
お母さん: アライナとネーリア、この紙に意地悪を言いなさい。
アライナ: あなた、醜いわね。
(子どもたちが意地悪を言うのにあわせて、母親は紙をくしゃくしゃにしていきます。)
ネーリア: あなた、友達いないでしょ。
アライナ: あなたは太っている。
ネーリア: だからお母さんはあなたを愛さないのよ。
アライナ: あなた、ドッグフードみたいな匂いがする。
ネーリア:だから友達がいないのよ。
お母さん: はい、では2人ともこの新聞に謝ってください。
アライナとネーリア: すみません。
お母さん: いいですよ。
(母親はくしゃくしゃになった紙を広げます。)
直った?
アライナとネーリア: いいえ。
お母さん: これがいじめをしない理由よ。
ネーリア:わかったわ。【この後の言葉が私には聞き取れません】
お母さん: わかった?
アライナ:はい、お母さん。
3)ルターの感想と提案「流れ図を変える」
姉のアライナは「ブス」「デブ」のようなストレートな言い方なのに対して、妹のネーリアの言葉は「だからお母さんはあなたを愛さないのよ」「だから友達がいないのよ」と、ひとひねりがあって、グサッときますね。非力な妹の方が辛辣な言葉を使いがちになるのが私には理解できます。
暴力を受けると暴力で発散することになる。イジメを受けるとイジメで発散することになる。その連鎖を断ち切ることが肝要です。
暴力やイジメの連鎖を断ち切るのは「言うは易く行うは難し」です。
そこで提案。「流れ図を変える」です。「昇華」という言い方もあります。
井上涼さんの曲で『焔(ほのお)のお習字教室』があります。嫉妬にさいなまれるのではなく、流れ図を変えて、嫉妬の焔(ほのお)をお習字で昇華する、そういう提案です。『源氏物語』の六条御息所からの提案ですから、説得力があるでしょう。ぜひ参考に。
私自身、末っ子でしたから中学生になるまでは兄と姉にゴンゴン叩かれていました。当時、姉のことを母は「ごんごこオバサン」(「ごんごこ」はゴンゴン殴るの擬音語)とあだ名していました。「ゴンゴン殴る対象は?」というと、それは「私」です! どういうこっちゃ! 私、どんだけゴンゴンされたんか! そんな私は姉を叩き返すのではなく(叩いても負けるから)、代わりに「つばをつけるぞ」と脅す戦法でした。(ルターの本名はさつきですが)、そのため、姉から「さつき+唾(つば)」「さつき+バカ」の蔑称のダブルミーニングで「サツバ」と呼ばれていました。絶妙なあだ名ですね。このネーミングについてはオンラインではっきり書いておきたかったですね。自分史では欠くことの出来ない思い出です。昔から母はあだ名をつける特徴があり(これは母方の家の特徴。「練馬の土門拳」「やなぎのカエル」など)、私もよくクラスメートや先生をあだ名で呼んでいましたね(中学の橋本先生に「おじさん」、重松先生に「ダミちゃん」など)。今となっては良い思い出です。これがちまたで言う「思い出補正」なのでしょう。
父は暴力的な家庭に育ちましたが、家族にほとんど暴力を振るいませんでしたし、言葉遣いも丁寧でした。その点は偉かったですね(たまに言うこと聞かないと叩かれましたが)。母の家庭はどうだったかというと、祖父(平時は面白く教養ある人)の暴力に対して「嵐が過ぎ去るのを待つ」戦法で耐える祖母(忍耐強い東北人)を見て育った母は祖母と同じ気質。感情的に子どもを叱ったりヒステリックになることは一度もありませんでした。母が不変のおだやかさでしたから有り難かったですね。そのかわり私は兄妹間でバトルしていたのでサバイバルは大変でした。今はその記憶はまったくありません。とにかく大きくなって全員「まるくなって」良かったです。今は優しい兄姉です。
大人になってから聞きましたが、幼い頃の私がいとこ(従兄)のおなかを殴ってしまったそうで、そのいとこは私に会うたびに怖かったそうです。殴った記憶はまったくない。覚えていません。申し訳ない! その一方で真逆の思い出があって、別のいとこ(従弟)からおなかを殴られた思い出があり、私はそのいとこがちょっと怖かった。
ということで、まとめますと、自分自身も自覚せずに暴力を振るっていたり、イジメしているかもしれない。そういうことを気をつけられる自分でありたいです。
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