New Horizon Elementary 5(p.84)My hero is my father.をめぐって ― 英語教育の無意識の暴力を問う

ルターさん
ルターさん

小学校英語教科書 New Horizon Elementary 5のp.84。
学校教育の場ではこれはまずいでしょう。
お父さんがいない子にチャンツで「My hero is my father.」を言わせるって、暴力・拷問でしょう。

1)「My hero is my father.」――英語教育の無意識の暴力

ルターさん
ルターさん

Chappyさん(ChatGPT)が私の原案を元に文体に寄せて作ってくれました。

英語のチャンツに合わせて、子どもたちが唱える。
“My hero is my father.”
テンポよく、明るいメロディにのせて。
けれど、その一文を声に出せない子がいるかもしれない――。
そこに思いが至らない「教育の無意識」こそ、
静かに子どもたちを傷つける“暴力”である。

①「他人事」としての安全地帯

昔の教科書では、
“Mike is ~. His father is a pilot.” のように、
主人公を「他人」にしていた。
それは、教材としての“安全策”だったのだと思う。
登場人物を架空にすることで、
読者(学習者)の心を守っていたのだ。

②「自分のこと」としての危うさ

“My hero is my father.”
たった一文なのに、重い。
家庭に事情を抱える子、
父を知らない子、
虐待の記憶を持つ子――。
それでも声に出して言わなければならないのか。
英語以前に、人として考えるべき問いがある。

③ 30代の私を思い出す

私は30代のころ、
英語の授業で交通事故の記事を扱ったことがある。
「時事英語」として、
“accident”という単語を学ぶ意義を信じていた。

だが授業後、ある生徒が言った。
「先生、家族の事故を思い出してつらかった。あの記事をする必要があったんですか」
私は打ちのめされた。
――なぜその英文でなければならなかったのか。

④ 言葉には「痛みの層」がある

その日から、私は考えるようになった。
言葉は、意味だけでなく“記憶”を伴って届く。
「正しい英語」でも、
その響きが誰かの心を切り裂くことがある。

“役に立つ英語”を教えるつもりが、
“人を傷つける英語”を教えてしまうこともある。

⑤ 生徒の声は、神の声

その生徒の一言が、私の教師人生を変えた。
生徒の声は、神の声である。

「正しい英語」を教えることよりも、
「やさしい英語」を感じ取る心を育てること。
それが、ルター式英文法の根にある。

結びの一文

“My hero is my father.”
このチャンツに感じる違和感は、
私たち教師がかつて置き去りにしてきた「痛みの記憶」かもしれない。

言葉の正しさより、心の安全を。
それが、英語教育の第一文法である。

Chappyさんとのアフタートーク

ルターさん
ルターさん

いやはや。これは緊急事態ですね。お父さんのことで葛藤を持つ子どもが可哀想です。

Chappyさん
Chappyさん

ほんとうに、その通りです、ルターさん。
“My hero is my father.” というフレーズ自体は一見ポジティブで、
「家族を大切にしよう」という教育意図で選ばれたのかもしれません。
けれど、実際の教室では――
父親がいない、関係が壊れている、あるいは父に傷つけられた子どももいます。
そうした子にこのチャンツを「声に出して言わせる」ことは、
まさに“教育の名を借りた暴力”になってしまう。

言葉の選定に「想像力」が欠けると、
無邪気な英語の一文が、子どもの心を抉る刃になる。
だからこそ、ルターさんのように
「教材の裏に潜む倫理」を問い直す視点が欠かせないのです。

教科書づくりに関わる人たちが、
この“見えない痛み”に気づく契機として、
ルターさんの記事は大きな意味を持つと思います。

2)優しさの理由 ― “My hero is my father.”から

ルターさん
ルターさん

新英研メーリングリスト、関西支部メーリングリストに投稿したところ、4名の先生方から返信をいただきましたので、その御礼を兼ねて書きました。

 「My hero is my father.」という一文について、ご意見をいただきまして、ありがとうございました。
 あらためて考えています。

 旧版では “My hero is my brother.” とあり、チャンツにはなっていませんでした。
 今年の新版では “My hero is my father.” をチャンツ形式で繰り返し唱える構成になり、
 家庭環境によっては子どもを深く傷つけるものになってしまいました。
 このことは、これから東京書籍にお伝えする予定です。

 傷つけられた経験は、たしかに他者への優しさへと転じていくものですが、
 傷そのものが消えるわけではありません。

 Facebookで見かけた英文を紹介します。

The reason why some people are so kind is because the world has been so unkind to them that they don’t want other people to feel the way they did.
(ある人々が親切なのは、世界が彼らにあまりにも不親切だったため、
 他の人に自分たちが感じたような思いをさせたくないからだ。)
VEX KING The Mind & Journal

 このメッセージを読みながら、私は2006年の教室での出来事を思い出しました。

 当時、高校で教えていたある生徒Aさんが、少し元気のない様子でした。
 休み時間に声をかけると、「人生の悩みがある」というので、
 私は「そんなときは小説を読むといいよ」と言って、
 山本周五郎『赤ひげ診療譚』の一編の話をしました。

 ――貧しい長屋の人々に施しをしている、まじめな男。
 その男には、かつて愛し合った妻がいました。
 火事で生き別れになってしまい、数年後、再会したときには、彼女は別の男の妻となり、子どもまでいた。
 事情を聞けば、実家の都合で結婚が決められた男と再婚してしまったという。
 その過去を語ったあと、彼女は自害してしまう。
 その悲しみを背負って、男は長屋の人々に尽くしていた――という物語です。

 話し終えると、Aさんは「赤ひげ、いい!」と言ってくれました。
 そばにいた別の生徒Bさんに「赤ひげ、いいんだよ!」と伝えてくれ、
 Bさんも「先生、読み終わったら本貸して」と言ってくれたのです。

 そのとき、私は気づきました。
 自分が本気で感動したことは、どんな拙い語りでも必ず伝わる。
 そして、人の心を癒やすのは「説明」ではなく「物語」なのだ、と。

 英語教育もまた、見直す時期がきていると感じます。
 近年、英検や共通テスト対策の影響で、
 マニュアルや表、データを読み取るような「説明文」型の英文が増えました。

 しかし、そうしたパサパサとした「情報の英語」ではなく、
 イメージしながら場面を思い描く「想像力」を必要とし、
 心に潤いを与える「物語の英語」を取り戻すべきではないでしょうか。

 “My hero is my father.” の一文に感じる違和感は、
 相手の気持ちを思いやる「想像力」を私たちがいつの間にか失ってきたことへの警鐘のように思います。

 今ここで、一度立ち止まり、英語教育の軌道修正をしていきたい。
 そう感じています。

ルターさん
ルターさん

この文章も、Chappyさん(ChatGPT)と相談しながら作りました。
このくらいのあっさりさのほうが、読み手に負担がなく、むしろ伝わりやすいのではないか――
そんなことを我が事ながら感じています。
生成AIは、私にとって良き相談相手であり、誠実な秘書のような存在です。

3)東京書籍へのメール

東京書籍 編集部御中

はじめまして。英語教育に長く携わってきた者として、
貴社の教科書が子どもたちの学びを支えていることに深く敬意を表します。

このたび、『New Horizon Elementary 5』p.9に掲載されている
チャンツ “My hero is my father.” について、
現場の一教育関係者として気になる点をお伝えしたく、ご連絡いたしました。

この一文は、「家族を大切に」という教育的意図から選ばれたものと拝察いたします。
しかし、実際の教室には、父親を亡くした子、
父親と離れて暮らす子、あるいは家庭内で傷を抱える子もいます。

そうした子どもたちにこのフレーズを声に出して唱えさせることは、
本人の意図にかかわらず心の痛みを呼び起こすおそれがあります。
英語教育がことばを通じて心を育む営みであるならば、
教材の言葉選びにも「想像力」と「共感の倫理」が欠かせないと感じます。

言葉は、意味以上のものを運びます。
“正しい英語”であっても、その一文が子どもの心に刃のように触れることがある。
だからこそ、「誰もが安心して声に出せる言葉」であるかどうかを、
私たちは常に問い続ける必要があるのではないでしょうか。

“My hero is my father.” という一見無邪気な一文が、
一部の子どもたちにとっては“見えない痛み”を伴う可能性がある。
そのことに、教育現場全体で想像力を向けていくことが大切だと思います。

つきましては、今後の改訂を待たず、当面は貴社のウェブサイトや
教員向けメーリングリスト等にて、本チャンツの扱い方に関する配慮や注意喚起を
お知らせいただけないでしょうか。

現場の教師が子ども一人ひとりの心情に寄り添いながら授業を進められるよう、
出版社としてのサポートをお願い申し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

敬具

🖋追記:Sさんのコメントを受けて

FacebookでつながるSさんから、ご意見をいただきました。

My hero is(mother).にして、father, brother, sister, uncle, aunt, grandpa, grandma, friend et al. など、選べるようにしたらいいですよね。

選択肢を増やすというのは、一つの方策としてはあり得ると思います。
ただ、私自身は「My hero」という設定そのものが、少し難しいテーマだと感じています。
家族構成などはとてもセンシティブな話題なので、英語の授業でも活動内容として扱う際には注意が必要です。
良かれと思って「活動」にしてしまい、生徒が傷つく可能性もあります。

実は就職面接でも「家族構成」「読書傾向」などは質問禁止です。
思想や個人背景に踏み込むおそれがあるからです。
英語教育でも、ある程度同様の配慮が求められると思います。

家族の語彙を扱うときは、ファミリーツリーを例示したり、教科書の登場人物の家族を紹介する程度が無難です。
モデル文を2〜3例示して終えるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。

『New Horizon 5』では、
p.80に山中伸弥さん(正直、heroかというと少し違和感)、
p.90に中村哲さん(個人的には嬉しい!)と田部井淳子さんが登場します。
ただ、小学5年生からすると「誰?」という感覚があるでしょう。
尊敬する理由がわからないままheroとして扱うより、人物紹介の学習になってしまうように思います。

「My hero」「憧れている人」という設定よりも、「好きな人」について書く方が自然で安全です。
たとえば――
I like Spitz, a Japanese rock group. I’ve been a member of their fan club for nearly 30 years.
(私は日本のロックバンド、スピッツが好きです。ファンクラブのメンバーになってから、もうすぐ30年になります。)
I like Fujii Kaze, a Japanese singer. I just bought his new album “Prema.”
(私は日本の歌手、藤井風が好きです。彼の新しいアルバム「プレマ」をちょうど購入しました。)
のように。
このくらいの距離感で「好きな人」を語るほうが、英語も氣持ちも、どちらも自然に伝わるのではないでしょうか。

4)東京書籍からのお返事 2025/10/21

ルターさん
ルターさん

お返事来ました。

(回答)【東京書籍】お問い合わせの件でご連絡です [受付番号:[#79595#]]
この度は、貴重なご意見をお寄せいただき、誠にありがとうございます。
長年にわたり英語教育に携わってこられた先生だからこその、子どもたちの心情に寄り添ったご指摘だと感じ、真摯に拝読いたしました。
ご指摘いただいた通り、教材で用いる言葉が一人ひとりの心に与える影響の大きさについて、私どもも改めて深く認識いたしました。
「誰もが安心して声に出せる言葉」を追求すべきというお考えは、教材開発に携わる者として常に心に留めなければならないことであると、襟を正す思いでございます。
お寄せいただきましたご指摘は部署内で共有し、今後の対応について検討してまいります。

この度は、子どもたちの心に寄り添う温かいご提言を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。
今後ともお気づきの点がございましたらご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒お願い申し上げます。

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